2008年12月8日月曜日

08/11/28 「Advent! Advent!」

 クリスマスを待ち、準備する季節として、教会暦にはドイツ語で「アドヴェント(Advent)」、日本の教会で「待降節」と呼ばれる四週間があります。教会暦ではその第一週目が新年にあたります。この日を前に、大司教は「Advent! Advent!」という題で寄稿されました。以下にその本文を訳出します。


 明日の夜には多くの家々で、アドヴェントクランツに最初のろうそくが灯されます。私たちの多くにとって、特別に忙しい時期が始まります。味わい深いアドヴェント(待降節)について話すことなど、ほとんどお笑いぐさに感じられてしまいます。クリスマス前の静けさの代わりに、街中で買い物騒ぎの熱狂がうずまき、ある者は騒ぎの渦を紛らわすためプンシュスタンドに逃げ込みます。こういうことにアドヴェントの安らぎは望めません。
 もしかすると、特別に感慨深く進行することの中には、アドヴェントの意味は全く見出せないのかもしれません。アドヴェントとは、「到来」を意味します。アドヴェントは「待つ」時です。それは、暗闇の中で、苦境の中で、困窮の闇の中で。まさにこのような体験のうちに、神の民、ユダヤ人達は、何百年もの歳月を過ごしたのです。救世主への希望。解放の光への待望。クリスチャンは、アドヴェントをつまりこのように見ます。それは救い主・救世主を待つこと、まもなく来る降誕祭を待つことであると。それもベツレヘムでイエズスがお生まれになることを、知りつつ待つのです。
 どうしたらアドヴェントをストレス無しに過ごせるでしょうか。たとえば、自分に尋ねてみましょう、自分が一体何を本当に待っているのか。心の一番深いところで、何を求めているでしょうか。休暇と昇給についての思いを脇に置いてみれば、自分になにを見るでしょうか。自分の深い人生の見通しに突き進むでしょう。自分の本当の期待に。そして、この深みのなかにこそ、神への渇望があらわにされることができるのです。そこで見つけるもの、それは、神が自分を待っていること。神がもうここにいること。私のところにも来て下さる、ということ。アドヴェント!