2009年4月24日金曜日

09/01/16 「 危機・希望・信仰」

 大司教は現今の金融危機に関連して、「危機・希望・信仰」という題で寄稿されました。以下にその本文を訳出します。

 危機は明らかな現実です。それほど思いがけないことではないにしても、やはり驚きです。まずは連日の銀行関連の暗いニュース。金融危機。株価の暴落。今や我が国の経済についても衝撃的な報道がされるようになりました。「製紙工場が雇用者680人のうち485人を解雇」。「何千人もが短縮労働に甘んじなければならない」。派遣で働いている人たちは簡単に首を切られ、より多くの企業が未来を暗いものとみるようになり、受注簿には空白が続く・・。危機は、現実なのです。
 数日前、ドイツの専門家と話す機会がありました。ドイツでは、オーストリアよりは早かったにしても、経済の減退に慎重に対処するにはどうすればよいか、真剣に考え始めるのがあまりにも遅かったとのことです。すべては経済のプラス成長の想定に方向付けられていました。しかし限りなく生長し続ける木や草などなく、当然そんな人間も存在しません。では賢くマイナス成長と向き合うためにどうしたらいいでしょうか?
 これは、私たちが皆一つになって、よく考えなければならないことです。必ず克服できるでしょう。それには誠実な徳・姿勢・考え方が必要です。本質を見極める思慮が必要です。そして何より、一致が必要です。個別に戦い抜くのは大変なことです。結束した家族のようなネットワークが、貴重な支えとなるでしょう。政府が、この危機の中、まず家族を支えようとしているのはまったく適切といえます。
 オーストリアには3,000を超える小教区があります。ひとつひとつが素晴らしい団結のネットワークです。教区は住まいを提供し、人々がその思いや方向性を見出す助けをします。信仰共同体こそが、このような時勢の最大の支えであるということに、多くの人が今、気付きはじめています。先人たちは、困難な非常時にこそ、何より深い信仰をもち、神のうちにとどまってきました。神こそが、最良の助けなのです。

2009年4月23日木曜日

09/04/11 「神のいつくしみの主日」

 カトリック教会では、2003年の典礼暦から、復活節第2主日(イースターの次の日曜日)の名称として、「神のいつくしみ」を付記することが決まりました。復活節と呼ばれるこの時節に、特に神の慈しみを想い、讃えるためです。これは前教皇ヨハネ・パウロ2世の求めに応じての決定です。
 09年はこの日が4月19日に祝われましたが、それに先立つ17日に、大司教は「Sonntag der Barmherzigkeit(慈しみの主日)」という題で寄稿されました。以下にその本文を訳出します。


 彼女の名前はファウスティナ・コワルスカ。病が彼女を床に縛り付けるまでは、ごく普通の修道女で、主に厨房で働いていました。彼女は1938年に33歳の若さで亡くなりました。それは地味で人目につかない人生でしたが、イエズスはその彼女に重大な事を打ち明けたのです。イエズスは彼女に語りかけ、彼女はそれを見、聞いたのです。イエズスの語った言葉を彼女は書き留めました。
 あるオーストリアの首相は、幻視は精神科の領分である、と言いました。この修道女は精神的に病んでいたのでしょうか。普段の彼女は完全に正常でした。そして彼女がイエズスから預かった言葉は、どこをとっても気の狂ったものとは言えないものでした。そこにはいつもたった一つの大事なテーマがありました。「神の慈しみに信頼しなさい」「イエズスに信頼しないさい。心配に押しつぶされ、自己のしくじりに傷つき、世界が真っ暗に見えても」「疑ってはいけません」「神の慈しみはあらゆる人間の失敗よりも大きいのです」
 修道女へのこの“啓示”に対して、批判の声がわき上がりました。「気をつけろ!神の慈しみを強調しすぎれば、人は罪を犯しやすくなる。もし“神はすべてを赦してくださる”のなら、神の罰と、正義と裁きはどうなるのか。」
 このポーランドの小さな修道女が、信頼に値する、偉大な喜びの福音を、再び告げ知らせたということを、ほかでもないあの教皇ヨハネ・パウロ二世が念を押して認めました。同教皇は、復活祭後の初めの日曜日を「慈しみの主日」と呼ぶよう定めたのです。しかし、神が慈しみ深いのなら、私たち人間も慈しみ深くなるべきです。