2009年4月23日木曜日

09/04/11 「神のいつくしみの主日」

 カトリック教会では、2003年の典礼暦から、復活節第2主日(イースターの次の日曜日)の名称として、「神のいつくしみ」を付記することが決まりました。復活節と呼ばれるこの時節に、特に神の慈しみを想い、讃えるためです。これは前教皇ヨハネ・パウロ2世の求めに応じての決定です。
 09年はこの日が4月19日に祝われましたが、それに先立つ17日に、大司教は「Sonntag der Barmherzigkeit(慈しみの主日)」という題で寄稿されました。以下にその本文を訳出します。


 彼女の名前はファウスティナ・コワルスカ。病が彼女を床に縛り付けるまでは、ごく普通の修道女で、主に厨房で働いていました。彼女は1938年に33歳の若さで亡くなりました。それは地味で人目につかない人生でしたが、イエズスはその彼女に重大な事を打ち明けたのです。イエズスは彼女に語りかけ、彼女はそれを見、聞いたのです。イエズスの語った言葉を彼女は書き留めました。
 あるオーストリアの首相は、幻視は精神科の領分である、と言いました。この修道女は精神的に病んでいたのでしょうか。普段の彼女は完全に正常でした。そして彼女がイエズスから預かった言葉は、どこをとっても気の狂ったものとは言えないものでした。そこにはいつもたった一つの大事なテーマがありました。「神の慈しみに信頼しなさい」「イエズスに信頼しないさい。心配に押しつぶされ、自己のしくじりに傷つき、世界が真っ暗に見えても」「疑ってはいけません」「神の慈しみはあらゆる人間の失敗よりも大きいのです」
 修道女へのこの“啓示”に対して、批判の声がわき上がりました。「気をつけろ!神の慈しみを強調しすぎれば、人は罪を犯しやすくなる。もし“神はすべてを赦してくださる”のなら、神の罰と、正義と裁きはどうなるのか。」
 このポーランドの小さな修道女が、信頼に値する、偉大な喜びの福音を、再び告げ知らせたということを、ほかでもないあの教皇ヨハネ・パウロ二世が念を押して認めました。同教皇は、復活祭後の初めの日曜日を「慈しみの主日」と呼ぶよう定めたのです。しかし、神が慈しみ深いのなら、私たち人間も慈しみ深くなるべきです。

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