2010年10月31日日曜日

死 ー そしてそれから?

 カトリック教会では、11月1日に「諸聖人の日」を、2日に「死者の日」を祝います。オーストリアでは「諸聖人の日」は国民の休日となっており、多くの人がこの頃に墓参りをします。大司教は、この祝日に先立つ10月29日のコラムで、「死」について寄稿されました。以下にその全文を訳出します。

 多くの人がお墓を訪れる季節です。お墓参り、死者の魂、亡くなった人への追悼。「死」というものを思い起こさせる時期です。しかし、死とはいったい何でしょうか。終わりでしょうか。全くの無でしょうか。死んだ人が遺すものとは何でしょうか。ほんの少しの思い出でしょうか。そんなものはすぐに色あせてしまいます。死、それは終わりかそれとも始まりか。今ここで私は自分の死について考えているでしょうか。死は必ず来ます。分からないのはそれがいつ来るかだけです。
 11月1日月曜日にまず諸聖人の日(万聖節)があり、そして翌2日に死者の日が来ます。この順番が大事です。11月1日に教会はすべての聖人を記念します。聖人とは誰のことでしょうか。よく知られているのは、例えばアシジの聖フランシスコ、聖アウグスティヌス、福者マザーテレサ。みな偉大な私たちの鑑です。しかし諸聖人の祝日は特に、天国という目的地に到達した数えきれない、名も無いたくさんの人たちのお祝いなのです。彼らの命は神のもとにたどり着いています。そしてそれゆえ、彼らは生きているのです。死は彼らの背後にあるものです。死はもはや彼らに対して何の力も持っていません。
 すべての死者がもうみな神とともに天国にいるのでしょうか。死者の日を祝うのは、私たちが心に留める今は亡き人々が、最後の目的地に到達することを、私たちが望むからなのです。それゆえ私たちは死者のために祈り、そしてその祈りが死者を助け、彼らが光のうちへと、完全に神へと、たどり着けることを信じるのです。お墓参りをすることは、今から私たち自身の目的地を見据えるための手助けとなるでしょう。神とともに道を歩むものには、すでに命があります。そうであるならば、死とは命の完成にすぎないのです。

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